第一節 緒言

「鍼灸医術」は一本の鍼、一撮の艾による灸を人間に施して、その健康維持、疾病治療を目的とする医術であることは、おそらく本書を手にする人々の誰れでもが知ってのことであろう
 鍼灸というても、針金であり、温熱火傷に過ぎない、これ以外に格別の道具立てや種や仕掛のあるわけではない。それだから「鍼を刺して、痛くありませんか、折れませんか、灸して熱くありませんか、痕がつきませんか、どうして、病気にキクのでしょう」などと患者さんからハンコを押したような質問のあるのは、むしろ、当然なことなのだ。
 考えてみればみるほど不思議なことだ、針金を体に刺して皮膚の上に火傷をさせて病気が癒るなんて、なんと不可思議なことではないか。
 余は三十年来鍼灸治療をやっているが、今もって不思議だとの思いを去ることが出来ない、だから、素人の患者さんが不思議がるのは無理もない、不思議という意味内容は異っても不思議という言葉には変りはない、なんとしても不思議な治療法だ、と、鍼灸のことを思ふ。
 しかし、世の中には鍼灸ばかりが不思議なのではない、不思議なことによって、我々の身辺はとりまかれてさえいると思われる、それなのに、我々は不思議の念を起さないのは考えないからである、考えてみれば不思議なことが一杯である。
 薬を飲んだり、つけたりして病気が治る、これも不思議なことである、けれど、これはそういうものだと考え込ませられているので不思議とさえ思わなくなったまでである。
 巧者な泥棒は釘一本でどんな錠前でもはずせるとか、あえて鍵がいらぬとかきく、これも我々からすれば不思議このうえもないことだ。が、彼氏からすればお茶のこさいさいである。なぜかというに錠前の構造を知りこれをはずす技術が彼氏には出来るからである。
 不思議という念には科学の芽ばえがほのぼのと立ちこめている。学を学ぶもの、術を習うものはこの念慮の場にときどき立ち還り自然のありのままの相を眺めるくせをつける心懸を持つべきだ。
 自然はこうした高貴な精神の持主のみに悉皆財宝を包蔵する神秘の門をひらくであろう
「鍼灸治療」欧米人ならずとも、これは確かに不思議なものだ。いざ、「鍼灸医術の門」を叩こうではないか、叩けよ、されば開かれんである。

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