第七節 素質、外因、内因、不内外因

人間は前節に於いて述べて来たやうな「生活のしかた」と見るのが漢方の人間観である。
 このやうな、生機で生々と発展し、生命の拡充をつづけれぱ病気にはならぬ、が、この統紀を紊すものは病因であり、病邪である。
 これを、古人は次の如く見る。
(一)素質―先天的素質と後天的素質に区別する、先天的素質原気の強弱であり父母より亨けた気に基づく、遺伝的なものである、後天的素質は天候、風土、生活環境等によつて生後得たるもので、気質を左右するものである。内的のものと外的のものがあるのはいふまでもない。
 近年、体質、素質、体型等の学問が若々と西洋医学にはじめられてゐる。血液型O・A・B・ABなどはメンデルの法則により一生変らないものとされてゐる。判定の材料は血液ばかりではない。唾液、汗、涙、乳汁、体液、分泌液、更に腎臓ゃ肝臓等の臓器細胞によつても分るとされてゐる。これは「血清学的な体質、個性の見わけ」と考へることが出来る、血液ばかりでないところに漢方医学的なものと似たものを示してゐる。
 気質と血液型との関係を古川氏は次のやうに述べてゐ。
  O型は自信強く、理智的であるが、強情で融和性に乏しい。
  A型は温厚で従順である、同情心が強いが、心配性で決断力が乏しい。
  B型は淡白で快活で社交的ではあるが、移り気で意志薄弱である。
  AB型はA型とB型と合つた気質をもつてゐる。
 このやうに西洋医学的にも素質といふことを問題にしてゐる。
 更に「体型学」からすれば「ずんぐり型」即ち、肥満、面赤、短頚、広胸、多血、体格佳良なもの、俗に「卒中質体質」のものと、「すんなり型」長身、長頚、筋肉がやせ、皮下脂肪が少い、顔面蒼白、眼光鋭く、事に敏で、俗に「肺癆体質」といわれるものである。この他に「アトニー性体質」「粘液性体質」等々がある。これ等は漢方医学に於いて陰陽五行臓腑に於いて区別するところである。
 これ等の素質は内外の環境に立つて、或る病に対し発病し易きか、し難きかを示す一つの疾病構成要素となるばかりでなく、原気(自然癒能力)の強さを示すものと思はれる。
 医学博士渡邊三郎氏が「治療方面より見たる内臓反射」の第一章に「周知の如く生物の生活は其の生体と共の周囲との関係で成立つてゐる。生体は絶えず其の周囲から無数の而も多種多様な影響を被むる、生体に斯く影響を及ぼす総べてのものは刺戟であつて、夫れは先づ生体の環境の諸条件の変化で惹起される、生体に刺戟感受性が存在する場合は其の刺戟の刺戟作用が発揮される訳である。即ちそれによつて、生休の内に又は外に向つて機械的又は化学的の変動が起きる。上述の如く、生体が刺戟の刺戟作用に対して能動的に作業を営み、之に応答する、之れが即ち反応である。
 外囲の諸種の物理的、化学的或は生物学的「エネルギー」の変移は常に生体に刺戟を致し、生体は之に反応して、新に生休内に諸条件の変化を起し、之れは亦夫れに刺戟作用を発挿して、反応は次から次へ進む、之れが生活の表現であり、生命である。
 かゝる刺戟と反応の関係はそれが健常生活であらうと、病的生活であらうと同様であつて臨床なる立場からすれぱ、反応を離れて生体を考へる事が出来ず、従つて治療学に於ても『刺戟と反応』とは全くその根本的基礎観念である。」
 と述べられてあるが、刺戟に封する反態性は多分に素質即ち個人差があることを認めねぱならず、元気なる概念で示さるゝものが如何に重要な役割を演ぜねぱならぬかは、分明なことであらう。渡邊博士は更に語を進めて、「かく外より内の影響は内に入つては内と内との相互影響となり、次に内より外への表現となる、而して、かゝる生活現象の根幹を為すものは、実に生体の植物性機能である」と結んでゐる。
 漢方医学に於ける元気の別使たる三焦のはたらきと比較してみ、且つ、元気が唯一の素質を為すとする漢方の表現と比較しみるならば興味深きものがあるではないか。
 生命を漢方医学的にみれぱ「生気の原であり」「守邪の神」である、これを医学的にみれば「人格の表現」であり、これが「生体反応」の原である。即ち、素質に内含される一「エネルギー」である。この強弱が外邪内傷を受ける度合を示すものと思ふ。
(二)外因―外邪ともいふ、風、塞、暑、湿を普通いふ、四気外感の気である。風は百病の長であり、寒は天地殺属の気であり、暑気は火邪であり、手足熱し、燥渇し、大便痞硬せしめる、湿邪は腫れ重る。
 中風は風邪で肝を傷り、傷暑は火邪であり心を傷る、傷寒は寒邪で肺を傷る、中湿は水邪(霧雨蒸気の類)で腎を傷るのである。
 これ等の外邪は内正気(原気―生命力)の虚なるによつて生ずるものとされてゐる。
(三)内因―七情内傷ともいふ、喜怒憂思悲恐驚で、内から五臓を犯し、正気をして衰虚せしめる因であると考へられた。
 古典は説く、五蔵に五志がある、五志七情は神気の発動に出る、これは五蔵各々其の志を分主せしめてゐるといふ。現代科学の「発達心理学」と比較すべき言葉である。
 肝(怒)心(喜)脾(思)肺(憂)腎(恐)は各々そのカツコ内を主る。
〇肝木は春に応じ、発生勇猛の気(将軍の官)人怒る時、気逆し、息数はげしく、眼張り、怒り極つて面青くなるのである。
〇心火は夏に応じ、散じて開き、人の喜ぶや気開きて散ずるに生ずるのである。
〇脾土は土用に応じ、中宮に在つて、四方に応じ、人の思は四方の事を聚めて抱くに生ずる。
〇肺金は秋に応じ、収斂粛殺の気で、人の憂ふるや、其気収斂するものである。
〇腎水は冬に応じ、水よく順下して卑きに降る、人の恐るや其の気、陥る、恐は腎の志なり。
 以上の如く五志の総べて属るところは一の神気である。五志七情は五蔵五行の気象に応じて各々分主ありと雖もこれを総括するものは神気であるとする。
 怒は共の神気の激より発して、共の標は肝木逆上猛桿の勢に及べるものである。
 喜は共の本榊気の緩より発して其の標は心火開散の勢に及べるものであり。
 憂は共の本神気の収るより発して、其の標は肺金収斂の気に及ぶものであつて、悲も同じ。
 恐は其の本神気の陥より発して其の標は腎水の下りて昇らざるに及ぶもので驚も又同じである。
 思は其の本神気の結ばるゝより発して其の標は四方に寄り応ずる及ぷものである。
 とされてゐる。五志七情の太過より病む者その主る蔵の位のみを治するばかりでなく、共の志の及ぶ所の蔵位を治せばならぬと説いてゐる。
 かやうなる、表現で漢方医学は説いてゐるが、七情の肉体に及ぼす作用は軽々に看過し去ることは出来ない。心内にあれば外色にあらはるといふことは誰れでも知つてる通りであり、物思ふは一夜のうちに白髪となるとか、心配事は食事を減ずるとか、突然の喜び又は恐怖は心臓の鼓動を早め、物の好悪は味覚によるが、病気になれぱ余計好悪を感ずるものである。
 キヤノンが怒らせることによつて副腎ホルモンを増加すると実験的に証明してゐる。この例は感情と肉体との相関々係を示すものである。更に注目すべきはアドレナリンの作用である。即ち①心臓の機能を亢め、血管を収縮せしめ、血圧を高める、血糖を増加させる。これは肝木の作用が、その子たる心火の作用に影響を与へることを示し、②気管枝筋肉を弛緩させることは肺金に影響を与へることを示すものである。このことは後段に於いて問題とするところである。
 現代医学的に見るとき、これ等の脳皮質の観念から植物神経の高等中枢に作用して、そこに一定の気分が成立し、迷走神経或は交感神経を介して末梢効果器官に機能変化を来すによると解釈されてゐる。即ち精神植物性反射といふのであるとされてゐる。
 これ等の知見は現代科学者の研究になるものであるが、直観的漢方医学といはれる如上の思想が漸次解釈される日があるであらう。
(四)不内外因―身体労倦、過房等である。
 以上は古典的病因であるが、元来、陰陽府蔵経絡の気が虚実相等しきを正となす、偏虚、偏実は其の正を失ふのである。是れが為に邪の侵すところと為す、偏実は内邪を得て病み、偏虚は外邪の入るところとなりて病生ずるのである。要は原気(正気、素質、体質)の盛衰如何にあるのである。銀灸の最終始の目標は結局正気なのである。

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